儀式もその祈りの方法であり、多くの人の集まりでエネルギーの増長を、音楽で捧げる感性と尊敬、絵画、彫刻における表現でイメージを尊ぶ感性とバリャーを創り、捧げる祈りがチャンネリングの方法となるのです。人間は誰しもが多少はあっても「神通力」を持っているものです。直感だったり、感性だったり、ひらめきがそこにあるのです。本能的第六感でもあり、生理的直感なのです。これらを大切に自分と他を結ぶ糸とするならば、知識、理論や論理的思考のみではなく、人間の持つ特殊能力が発揮されるのです。信じる事は疑わない事でもあり、疑いが無いと言うことは、迷いも無いと言うことになります。
人間は自分一人で産まれて来た訳ではありません。両親の授かりものとして、生を受け、名前や育つ環境も自分が選んだ訳ではありません、自分があって自分がないのです。自分以外のもので育ち活きているのです。その恩恵を忘れてはいけません。それゆえに生をくれた両親に、環境をくれた自然に、愛をくれた神に、教えをくれる悪霊に祈ることで慈しみを産むのです。
多くの霊はその祈りで安らぎと安堵を覚え、守護霊となって我々の周りをシールしてくれることになるのでしょう。祈る行為の意図よりも、祈りの力を伝えることに意義があるように思えます。
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