バリ、ウブッド通信 140号/犬の手術


バリには BAWA (Bali Animal Welfare Association )という、バリ動物福祉協会がNPO活動をしています。バリに住む動物を健康に守ろうとする、ボランティア活動です。特にバリ犬を病気や虐待から守るのです。私のうちは4月にモカが2度目の出産をして5匹の子供を産みました。3匹は里子に出しましたが、もうこれ以上4ケ月ごとに増えて行くのも辛いので、今まで躊躇していた去勢とメスには卵巣摘出をする事にしました。5匹の犬の手術をするので、BAWAのお医者さんとアシスタントの人が我が家に来て、仮設の手術室を作りここでする事になりました。
麻酔を打って点滴をつけての 手術は痛々しく見るのも辛かったのですが、どのように行われるのを観察しているうちに、自分も看護士になったような気持ちで心の中でガンバレ!を繰り返していました。麻酔でグッタリした犬を見ているとあわれな気持ちにもなってしまいました。先生は手際よくオペを進めて行きます。オスは睾丸をしぼって取り出すのですが、昔、羊羹でしぼって中身が出て来るアレを思い出しました。そして釣り針のような大きな針で切り口を縫っていきます。


お父さんのオームとお母さんのモカが最初に手術、そのあとは子供達です。子供は4ケ月なので、切り口も小さく手術出来ます。子犬のオス達のは睾丸も小さく、ラッキョのような形のもので、切り口も数センチで済みました。私は中学の時に帰校中にお腹が痛くなって市民病院で盲腸の摘出手術をしてもらってからこの歳まで手術には縁がありませんでした。犬の手術を見ていてその事が思い出されました。
メスのモカの卵巣摘出は時間がかかり、見るのが辛かった。先生はその都度手袋もメスもハサミもすべて新しいので施術がされ、消毒をしながらで安心しました。


息を飲みながらの数時間がアッと云う間に過ぎ、額に冷や汗と疲れを憶えました。みんな犬小屋で横たわっているのを見た時、大仕事が終わったような感覚で、ボー然としていました。手際よくまた手術室がかたずけられて、この協会に寄付をさせてもらって、無事に終わりました。可哀想だったけどまあもう増える事のない犬達の状況を思うに安堵の気持ちが湧いてきました。
その後、みんな元気に回復して走り回っています。何回も体験した分娩ももう見る事もないでしょう。私の家族のような犬達は大切な友達でもあり、出来るだけ長生きして僕の側にいて欲しいものです。発情期になると塀を無理矢理越えて行き車にはねられたり、悲しい思いもいっぱいしたので、これからは家の中で平和に暮らしてほしい。
BAWAの先生、そしてアシスタントの方々ありがとうございました。



バリ、ウブド通信 139号/甘いもの。

<甘いもの>

私は甘いものが大好きで、20年のカリフォルニア生活で食後のデザートは習慣化されました。コーヒーショップにはパイやケーキがカウンターに並び、食後の食欲をそそぎます。甘いものは別腹といいますが、まさに食後の食欲なのです。食事に招待されても、必ずお母さんが作った自慢のレモンパイ、アップルパイが出されます。ホイップクリームが惜しみなく使われ、アメリカ人の肥満化の原因の一つにはデザートの甘さがあるように思えます。勿論アメリカだけではありませんが、私の絵画教室の生徒さんのお母さんがバリに来ては作ってくれるイタリアのアップルケーキ、フランスの生徒さんが作ってくれるチョコレートケーキ、美味しい手造りケーキがいただけます。ウブドに住んでいても、美味しいケーキを焼く店が沢山あり、西洋人、日本人の経営です。私がよく行くワルン(食堂)のチーズケーキはバリでは高価なチーズなのでレモンをきかしたレモンチーズケーキですがサッパリして暑いバリの気候に冷えたケーキは美味しく感じられます。カフェラテもガラスのコップに入っていて西洋カフェの半額で食せます。フルーツの豊富なバリはフルーツケーキが沢山作られます。バリのケーキはクエといって黒砂糖を使ったものが多く、パウンドケーキの上にチョコレートのつぶが乗っていたり、カラーフルな砂糖で作ったトッピングが’されたものを市場で買う事が出来ます。また自転車の後ろに手造りスチーム機をのせて蒸かして作った団子のような菓子に甘味を載せたものは子供達に人気があります。

バリのコーヒーは砂糖を入れた甘いコーヒーです。いわゆるバリコピで粉状のコーヒーを熱湯を注ぎ作りますがコップの下には粉が溜まるので上澄みを飲むと言う感じです。屋台や食堂では一杯10円ほどです。イスラム文化が持って来たアラビカ種の豆で各村で焙煎したものを村の雑貨屋さんで売っているのですが、それぞれの村で味が違うのです。1キロが5、600円と言う値段。最近私はバリにはないコーヒーフィルターを日本から送ってもらって飲んでいますが、最後まで粉の溜まらないコーヒーが楽しめます。一日に4、5杯は飲みます。コーヒーもだい好きですがティはジャワティに生のショウガの刻んだのを入れて飲むジンジャーティが好きです。変わったコーヒではコピルワックと言うジャコウ猫の糞から採集したコーヒー豆を焙煎して飲む高価なものや、スラウェシ島トラジャ地方で採れるトラジャコーヒーは高級で美味しいコーヒーです。これらのコーヒーを煉乳と混ぜて飲む甘いコピススも人気があります。ミルクコーヒーです。どこの家にいっても勧められるコーヒー、挨拶のように「コーヒー飲みますか」と日常的に云われるのです。

私が作ったバリのケーキを真似たものですが、オーブンを持ってないので、バリオーブンと言ってブリキの箱をガス台に乗せて焼くのですが、温度が上がらないのとブリキでは放熱がするので、しっかりとは焼けませんが、これにブルーベリージャムを載せた非常に見かけの悪いケーキですが、味はまあまあと言うところ、いろんな人からレシピをもらうのですが、このオーブンではうまく焼けません。我が家の隣の家のアメリカ人の家には立派なガスオーブンがあり、そこのお手伝いさんがケーキを焼くのが好きで、主人がアメリカに帰っている間はよく家にケーキパンやブレンダーを借りにきてはキャロットケーキなどを作っています。いつもそのお裾分けをいただいていますが、なかなか美味しいです。ウブドにはカキアンと言う日本人の女性が作るケーキ、パン屋さんがあり、日本のケーキやクッキーが食べれます。バリブッダのヘルシーベーカリー、カサルナのケーキとパン、そしてクエと言う店のケーキ、チョコレート類、など沢山の店が甘いものを作っています。生え抜きはイタリアンレストラン、ママミーヤの娘の作るテラミスは日本から来た女の娘も「こんな美味しいテラミス食べたの初めて」と言うくらいの重厚な味、お腹を満たす食事と心を満たす甘いデザートはやっぱり必要で別腹なのです。




バリ、ウブド通信 138号 /サラスワティの日

サラスワティ女神

芸術学問などの知を司るヒンドゥ教の女神である。日本では七福神の一柱、弁財天として親しまれており、仏教伝来時に金光明経を通じて中国から伝えられた。4本の腕を持ち、2本の腕には、数珠とヴェーダ、もう一組の腕にはヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持ち、白鳥またはクジャクの上、あるいは蓮華の上に座る姿として描かれる。白鳥、クジャクはサラスワティの乗り物である。
ーウィキペディアよりー




1月12日(土曜日)はバリではサラスワティの祭日、昨年の9月から着工したトモカのオーボエのスタジオが完成して、部屋にはアグン山の方向に神棚(サンガ)が備えつけられて、この日にバリヒンドゥの儀式を執り行ないました。村の人達が作ってくれた沢山のお供え(チャナン)お坊さんが司る儀式が始まります。我が家の裏庭に造られた小さな部屋、そこに神を呼んで頂く儀式、そして芸術を司さどるサラスワティの女神を招待するのです。


線香の煙がモウモウとたち籠る中、お坊さんの経が始まり、部屋の外には家族付き合いをしている村の人達が集まります。聖水と花のお供え、楽器にも本人にも祝福と洗礼を、外では青竹を燃やし”ポン”と言う竹の破裂音が悪霊からここを守る儀式が村の人でされます。そして家の中、敷地の中を村の人と一緒に周り寺やサンガに花と聖水をまいて祈りの儀式をして行きます。そして儀式が終わると村の人達との会食です。近所のワルンで買って来たご飯を皆で食べながら新築のスタジオとトモカの音楽活動を祝いました。



夕方からはパーティを始め、沢山の食事や飲み物で新しい門出を祝し、私の絵画教室の生徒さんやバリに在住の日本人の方々が集まってくださいました。そしてトモカのオーボエの演奏が始まりました。スタジをから奏でる音はベランダに集まる人達を心静かな音のひと時として楽しんでもらいました。
photo by Mizue



最近、大阪からバリに移住したジャンベプレーヤーの大ちゃんとのインプロビゼーションで湧きました。ジャズからクラシックと幅の広い演奏をする彼女は2月から日本で久保田麻琴さんのプロデュースで新しいアルバムのレコーディングに入ります。アジア、バリのエッセンスを取り入れた新しいサウンドが期待されます。6月にCDをリリースする予定です。毎日バリにいる間はこのスタジオでその練習をしています。そしてオーボエのリードつくり、作曲をとフルにバリでこなしているのです。
photo by Mizue



絵画教室の生徒さんの作品が架けられたベランダの壁の前で、彼女の演奏に聞き入る人達。海の方に住む人達も遠い所をウブドまでやって来てくださいました。
photo by Mizue



第二部はトモカのソロ演奏でスタジオの中に観客ををいれて、まじかでオーボエの音色と演奏を聴いて頂きました。新しい出発が新年と共に祝い、サラスワティの日にこの出発が出来た事は偶然ではなく全ての行為と意図のシンクロニシティでもあるのです。我が家はこれで豊かな環境に変貌したのでもあります。
photo by Mizue

オーム サンティ サンティ サンティ。





バリ、ウブド通信 137号 /新年の遺跡巡り。

ボロブドゥル遺跡

新年あけましておめでとうございます。

ジャワ島のほぼ真ん中にインド洋に面したジョグジャカルタの街からバスで一時間半、ドアーの開きっぱなしのローカルバスは道で手をあげるお客を拾いながらクラクションを鳴らしながら走る、まるで ”どけっ、どけっ”と言っているような感じで凄いスピードでタバコをくわえて運転手はうまいハンドルさばきをする。モスリムのおばさん達が荷物を持って乗ってくる、車掌は荷物を中に入れてやったと思うと、もうバスは動き出す、おばさん達はバスの中でフラフラしながら席を探す。バスストップなど無いので、”ここで止めて!”と叫ぶと止まってくれる。便利のいいバスなのです。そして市場を兼用したターミナルに着く。

ターミナルからはさほど遠くはないのだが、馬車に乗って遺跡の入り口まで行くと、きれいに整備された公園のような大きな敷地に花や木が植えられている。十数年前に来た時は何もなく、土のだだっ広い 敷地の中に石の遺跡がそびえていた。入場料も20ドル(外国人)僕は永住権があるのでローカルプライス、800円、世界遺産に登録されて設備も修復もされて立派な遺跡として人気を集めている。8世紀に仏教徒が作ったこのストゥパの群れ、その中に石像のブッダが鎮座している。ここから活火山である3000メートルのメラピ火山が見える。全体がマンダラのデザインでてっぺんの大きなストゥパを中心に5つの回廊が円をなして、その壁には煩悩のレリーフから悟りのレリーフまで、ラマヤナ物語の絵巻でもあります。

パオン遺跡、ムンド遺跡とボロブドール近辺には小さな寺院のような遺跡があります。様式は同じような建物ですが、中の仏像の頭部が無かったり像そのものがなかったりします。オランダの350年間の植民地時代にこれらの石像は盗難にあったのか、ムンド遺跡の側に日本人が建てた碑があり、日本語で先の戦争で亡くなった人を慰霊しています。また昭和天皇がそれらの有志の心にうたれて言葉を残されていました。


ムンド遺跡の側には仏教寺院があり、仏を奉り、きれいな庭には蓮や睡蓮が植わっていました。インドネシアの殆どはイスラム教徒であり、少数のクリスチャンや仏教徒がいます。16世紀にイスラム教が全土に普及した時には仏教を捨ててイスラム教に改宗され、今は国の宗教になっていますが、バリだけはバリヒンドゥを宗教としてイスラム化しませんでした。イスラムの高僧がバリの王様と会見して改宗を勧めたのですが、バリの王様は “もしあなたが私の髪の毛を一本でも抜けるなら改宗しよう” と言って瞑想されイスラムの高僧は出来なかったと言う逸話があります。

プランバナン遺跡
ジョグジャカルタの街から乗り合いバスで一時間足らず、30円のバス代は値打ちがあります。ここも世界遺産に登録されたヒンドゥの寺院、センターには一番大きな石塔の中にシバの神、息子のガネーシャと奥さんの石像が祀られています。塔全体にレリーフされた外観は圧倒されます。広い公園もきれいに整備され、地震で崩れ落ちた建物も復工されていますが境内の外の小さな塔はまだ石が積み上げたままで、壮大な復旧作業を必要とするのでしょう。

このプランバナンもボロブドールと同じ頃に建造されたもので、石の素材やレリーフの内容も同じものがあります。古人はこの地を地球のヘソと信じていました。まさにパワースポッットなのでしょう。シバの塔を出てから、疲れもあったのか、また憑かれたのか、貧血状態になり、芝生で30分ほど寝てしまいました。その仮眠で夢の中で「因」をふもうとしてふめない自分の手が出てきました。目が覚めると黒雲が押し寄せすごい雨となってレストランに雨宿りをせざるを得ませんでした。

パラオサンロール遺跡
ここはプランバナンから少し離れた所にある遺跡で、写真のような建物が3つあります。中の石像は一体もありませんでした。ただ台座だけが主人を失ったように密かにありました。中は3つの部屋になっていてピラミッドの中のような天井があり、外観は一瞬、ガンダムのようなサイズと顔を見せています。ガンダム寺院の様でもありました。ストゥパの組み合わせの建物上部にはまるで顔を意識したような配置になっているのが興味深かったです。
新しい年を迎え、今年こそ平安で世の中のカオスが減少して人を中心とした自然界を回復して欲しいものです。皆様にもより平安で平和な一年が訪れる事を願い、今回の遺跡の旅をシェアーします。
オームスアステアストゥ




バリ、ウブッド通信/136号/庭のバナナと蓮。

バリの借家では借りた人が家のメンテナンスをします。私の家は借りて10年になります。犬が出ないようにと塀を作ったり、安全の為に門を作ったり、家の塗装をしたりとテナントの仕事が多々あるのです。そのかわり自分の好きなように改装もで来ますし、庭も造れます。ここ10年で少しずつ家もよくなって行きます。最近は庭を造るのが楽しみで色んな木を植えたり、花を植えています。特に果物の木が多く、自分で食べたアボカドの種を大きくして庭に植えたものが、何本かあり10メートルに達する大木になりました。食べたグレープフルーツの種で育てた木、パパイヤなどなど、特にバナナはよく育ち美味しい種類の違ったものを10本くらい植えています。庭のバナナが大きく育ち、花をつけて果実へと変化していく様子を楽しんでいます。毎日房が顔を出す様は喜びに近い感動があります。写真のバナナはピサンヒジョウと言う種類で緑バナナです。しかし甘くて美味しいバナナです。一見グリーンの色なので熟れていないように見えますが美味しいバナナです。バナナは沢山の種類があって、フライにするもの、粒のある豚の餌になるもの、小さいモンキーバナナから、ミルクバナナと豊富な種類があるのです。バナナは実がついて収穫するとその木は終わります。一回きりの収穫です。幹は皮をむいて豚の餌にします。同じ根っこからは新たな木が育ってきます。一房に60本くらいのバナナがつき、食べるのも大変、ジュースにしたりバナナパンケーキにしたり、オーブンがないのでケーキは焼けませんが、バナナケーキも美味しいです。そして近所の人や村の人と分け合って、バリの人はお供え物にも使うので喜ばれます。犬の糞と落ち葉を焼いたあとの灰が肥料となってよく育つのです。私の家の周りにはドリアンの木やジャックフルーツの木やココナツヤシがあって、よく突然 ” ドスーン ”と言う地響きのする音で落ちて来ます。バリはフルーツの種類が豊富で新鮮な果実を味わえます。

私は花の中でも蓮が好きでよく蓮の絵を描きます。庭には4鉢の蓮があり、違った種類の蓮を植えています。蓮池があるともっと自然な雰囲気で蓮を楽しめるのですが、鉢植えもなかなかいいものです。バリは年中、蚊が繁殖しますので、鉢の中にはメダカと小さなナマズを入れています。ボウフラを食べてくれるので、蚊の繁殖を防げるのです。ナマズは鉢の中の水をきれいにしてくれます。蓮のつぼみが出来ると毎朝楽しみに成長を見守っています。徐々に膨らんで来る生命の力、もう明日には咲くと言う時は気になってついつい早起きをして見に行くのです。蓮の花は大きくて存在感があります。ジャスミンの木も植えていますが、小さくて一日で散ってしまいます。夜香樹と言う夜になると甘い香りを放つ木は好きですがこれも一日だけの開花です。他に毎日朝咲いて夜には散る黄色い花、部屋には生け花として飾れない一日花、庭でしか楽しめない花があるのです。バリでは蘭とブーゲンビリアの継ぎ木がポピュラーです。ピンク、オレンジ、白の花の枝を継ぎ木して、色んな色のブーゲンビリアの鉢植えが売られています。派手でいかにもバリ人が好むチャンプール感覚なのです。

この蓮は真っ白で中が複雑な機械のような弁が沢山入っていて、香りもあり、蜂や小さな虫が沢山よってきます。花弁よりも中のメシベが脳のひだのようにひしめきあって、咲く期間も短くアッと言う間に散ってしまうのです。1センチほどの小さなつぼみがどんどん大きくなって蓮の形を見せるのは楽しみであり驚きでもあります。そろそろ古希を迎える私はまさに庭いじりの毎日を楽しんでいるのです。朝起きて犬の糞の始末から始まって枯れた落ち葉を一枚一枚手で拾う、これもからだの屈伸と膝の屈伸運動なのです。また草むしりも手で一草一草抜いていきます。そしてホースで水をやる毎朝の日課なのです。朝は6時には起きて庭のメンテナンスを終えてコーヒーを入れて庭で飲む、それから毎日が始まるのです。早起きで朝に一仕事すると、一日中庭の眺めがきれいになって、エネルギーも気も新鮮な毎日を過ごせます。”早起きは三文の得 ”と言ってわずかな得ですが私にとっては十分な得をした感があります。新鮮な空気の中で庭で ”丹田呼吸 ”をして庭作業これが私を元気にしてくれているのかもしれません。我が家の植物、動物に感謝です。生命力を感じさせてくれ、私にまでそれを与えてくれます。ありがたいことです。



バリ、ウブッド通信/付録 ナイジェリアの人食いワニ


全長6.7メートル、体重1130キロの大ワニ、村人が消息を絶つので軍に依頼して捕獲された。


バリ/ウブッド通信135号/バリの文化交流

バリの文化交流

バリアートフェスティバルが6月11日から開催されました。34回目を迎えるこのフェスティバルの開催式にはインドネシアのユドヨノ大統領も出席しました。アート、工芸、音楽、舞踊、民族イヴェントそして世界との交流イヴェントなどが催されます。ウブッドでは日本の能楽とバリの民族歌劇との共演があります。日本とバリの交流は近年盛んになってきました。第二次世界大戦では日本軍が駐在し、オランダ軍と戦い、インドネシアが 350年間の植民地から独立した関わり合いがあります。今は沢山の日本人が観光にバリを訪れます。ヨーロッパ人は400年前からバリを訪れています。1920年代にはドイツのシュピーズがキリスト教の布教に来てそのまま在住し画家としてバリ絵画に大きな影響を残しました。今、ウブッドのプリルキサン美術館ではシュピーズの展覧会が開かれています。また、バリはアートなどの発表の場、制作の場としても人気があり、外国のアーティストやジャワ島からのアーティストも沢山住み活動しています。先日、デンパサールでコラボレーション コンサートがありました。ジャズ、舞踏ダンス、生け花、ライブペインティング、村のガムランなどの総合的なイヴェントでした。この時お会いした日本の中年の男性は奥さんも亡くされ、先の大地震、津波で仙台の家を失われ数ヶ月前にバリに移住を決意されて住んでおられ、このコンサートでは村のガムランバンドに参加して裸で大きな木のベルを演奏されていたのが印象的でした。また、東京のオーボエ奏者 tomoca さんもジャズグループと一緒に演奏をしました。色んな形でバリと日本の交流がなされています、そして最近日本を出てバリに移住される夫婦や家族も少なくありません。日本にはバリにないものが沢山ありますが、バリにも日本にないものが沢山あると思います。バリは世界からのひと、文明、文化を受け入れますが、バリ独自の文化を大切に守っているプライドが素晴らしいと思います。

先日のデンパサールでのコラボレーション コンサートのヴィデオをサイドバーに添えますので見てください。